パケットの気持ちになって考える
むろん、パケット(といっても小包のことではなくて、IP パケットとかのことである) に 気持ちがあるわけではないが、 パケットからみたネットワークを無意識の思考で考えてみる、 という意味。
パケットの振る舞いを、意識した思考で考えていては、 あらゆる状況下での振る舞いを考えようとすると時間がかかりすぎる。 頭の中にネットワークのエミュレータを構築し、 無意識の思考でパケットをやりとりしてみればどうだろうか。
プログラムの気持ちになって考える
プログラムの視点、 ないしプログラムを実行する CPU の視点を、 無意識の思考で考えてみる。 プログラムを一ステップずつ意識した思考で追っていては、 いつになってもバグの原因に思い当たらないが、 頭の中にプログラムを思い描き、 無意識の思考で実行してみればバグの原因が「ひらめく」かもしれない。
将棋の駒の気持ちになって考える
寺尾創さまのコメントにある、 「直感で何通りか次々に解候補が無意識に浮かんでくる」というのは、 頭の中に将棋盤と駒があって、 無意識の思考で超高速に駒を動かしてあらゆる指し手を探索している、 ということなのか。 これが意識した思考だと、 あらゆる指し手を探索するには非現実的な時間がかかってしまうだろう。
人の「意識」は心の中心ではなく、脳の様々な活動のロガーに過ぎなかった!
唐突に何かを「ひらめく」という経験は誰しもあるだろう。
「ひらめき」が天から降ってくる、というのは考えにくいので、
意識はしていないもの何らかの思考が脳の中で行なわれ、
その思考の結果が意識にのぼったとき、
「ひらめく」と考えるのが自然だろう。
こ….
Comment by 仙石浩明の日記 — 2006年8月3日 @ 09:34