アナロジーで考えると理解しやすいのはなぜだろう?
新しい事柄を、すでに理解している事柄に対応付けると、 分かったような気になりやすいので注意が必要であるが、 どこまで類似していて、 どこが違うかはっきり意識しながら考えるのであれば、 アナロジーは素早くモノゴトの本質を見極める方法として有効である。
すでに完全に理解している事柄というのは、 頭の中にその事柄に対応する「回路」が出来上がっていて、 無意識の思考で高速に考えることができる。 一方、初めて見聞きする新しい事柄は、 当然のことながら頭の中にはなにも準備ができていないから、 無意識の思考で考えるのは難しく、 意識した思考で考えることになる。つまり非常に遅い。
ここで、もし新しい事柄の一部でも、 無意識の思考で考えることができるのなら、 つまりすでに理解している事柄と似ている点があるのなら、 その部分は無意識の思考に任せることができて、 理解を加速することができるのではないか。 おそらく、これがアナロジーで考えるということなのだろうと思う。
このように考えていると、 マービン・ミンスキーのフレーム理論が思い起こされる。 つまり知識の枠組みができている事柄についての理解が速い、 ということと似ているが、 単なる知識の整理にとどまらず、 無意識の「自動化された」思考によって、 新しい事柄への理解が加速されるのではないか。
その一方で、過剰な類推をしてしまう、 つまり無意識への「丸投げ」をしてしまうのが、 「分かったつもり」であって、 頭の中の回路がどこまで正しいのか、 つまり「どこまで類似していて、どこが違うか」を検証する必要がある、 ということなのだろう。
その検証を、意識して行ってもよいのだが、 検証を無意識の思考で行うことができれば、 さらに強力だろう。 これは、比喩のやりすぎや、論理の誤謬を「直感で」感じられる人は、 検証を実際に無意識の思考で行っているのだろうと思う。
人の「意識」は心の中心ではなく、脳の様々な活動のロガーに過ぎなかった!
唐突に何かを「ひらめく」という経験は誰しもあるだろう。
「ひらめき」が天から降ってくる、というのは考えにくいので、
意識はしていないもの何らかの思考が脳の中で行なわれ、
その思考の結果が意識にのぼったとき、
「ひらめく」と考えるのが自然だろう。
こ….
Comment by 仙石浩明の日記 — 2006年8月3日 @ 09:34