人は様々な判断をする。 経営上の決断だったり、 設計方針の決定だったり、 あるいはキャリアパスの選択だったりする。
あらゆる「判断」には、 その判断をするという「結果」をもたらした「原因」がある。 理詰めで行なった判断であれば、 どのような思考過程でそのような結論に至ったか、 明確にすることは比較的容易かも知れない。
しかし全ての思考過程が白日の下にさらされることは稀だろう。 理詰めの判断だと思っていても、 その一部が直感に頼っている場合もあるかもしれないし、 思い込みに捕らわれた論理の飛躍があるかもしれない。
直感といっても天から降ってくるはずはなく、 無意識の思考の結果だろう。 常にその思考の源泉があるはずである。 無意識の思考をかきわけ、 その直感がもたらされた真の原因を突き止めるべきだと思う。 無意識の思考をたどっていくうちに、 演繹の連鎖の中に、 思い込みや嗜好が関係していることがあるかもしれない。
もっとも危険なのは、 無意識のうちに過去の成功体験の事例を踏襲してしまっているケースだろう。 成功事例は、その前提条件が現在も成り立つときに限り有効であり、 前提条件を無視して無理矢理過去の事例を適用しようとすれば、 成功は失敗の元となる。
しかも、変化の早い現代においては、 以前の前提がそのまま成り立つことは、ほとんど有り得ない。 過去のやり方を真似ようとするときは、よりいっそう慎重にならなければならない。
過去と現在との条件の違いを明確にした上で、 過去の経験を活かすのであればよい。 過去の経験は資産になるだろう。
しかし、 無意識の思考で過去の経験を採用してしまうと、 本当にその前提条件が成り立つのか「意識」することなく 無意識に思考が進んでしまいかねない。 「判断」という結果を出すまでに、 その誤謬を正すことができるだろうか?
無意識の思考で発生した前提条件の齟齬が、 アラートとして意識に上ってくる場合もあるだろう。 上がってこない場合は、無意識の思考の過程を洗い出さなければならない。 無意識の思考は意識で想像するより深く入り組んでいる場合もある。 何が判断に影響を与えたのか、 常日頃から思考を遡って無意識の思考を監視する習慣が大切だろう。
その一つのきっかけとなりうるのが、 判断が結果的に間違っていたと思ったときに行なう反省、 すなわち「失敗から学ぶ」ことである。 失敗は、無意識の思考からアラートが上がってこない場合に、 外部から与えられるアラートである。
無意識の思考のアラートを次回こそは機能させるためにも、 失敗の原因をとことん追求すべきである。 ゆめゆめ失敗の原因を外部要因に転嫁して、 自己の思考を正当化してしまうことのないようにしたい。 そんなことをすれば、 追求が途中で頓挫してしまい、 失敗が次に活かされない。 「思い込み」が放置され、 無意識の思考に対する監視機能が働かないままになる。
そもそも言い訳など無意味である。 思考は全て自分のものであるのだから、 間違った思考の責任は全て自分にある。 自分自身に言い訳をして、 自分自身を欺くことの無いようにしたい。