仙石浩明の日記

2006年4月11日

情報処理のキホン (1) hatena_b

KLab の開発に参加いただいている協力会社の A 社の S 社長が、

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私自身は情報処理のキホンをちゃんと「教わったり習ったり」した ことはなく、その点で、至る所で「やっぱりキホンがしっかりして いる人には適わないなぁ」と感じるシーンも経験します。

で、大学や専門学校で情報処理を学んで来た人に教えて欲しいの ですが・・・・・・

Q1) 学校でどんなコース(講義/単位)がありましたか。
○○学 とか ○○技法 とかそんな感じの。
Q2) その中で、印象深かったものや、今こうやって開発の現場で仕事を
していて「学んでよかったなぁ」と思ったものを教えてください。
Q3) 今この会社の、学校でそういうことを学んでこなかった人に対して
「俺が解るように教えてやる!」というのがあるとしたら
どんな事ですか。
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という質問を tech ML にしました。
みなさんならどう答えますか?

A1)
私は情報工学科だったので、論理回路からコンパイラ、ソフトウェア工学まで一 通り学びました。ついでにいうと実践的なプログラミングは、某ソフトウェアハ ウスでバイトして覚え、ネットワークは、最初の就職先のイントラ構築の手伝い をして覚えました。
A2)
専門課程で学ぶ事で一番大事なのは、「大海」を知る事ですね、きっと。 「大海」を知らない「井の中の蛙」は、決して「井」から出る事はできません。
大事なのは知識や経験を身につける事ではなくて、自分が何を知らないかを 知る事です。
大学は「開発の現場で」役にたつことを教えてくれない、と多くの人が言います が、そういうことを言う人って、ほぼ確実に自分が何を知らないか分かってない と思います。
A3)
なんでもいいです。自分では到底作り出す事ができないものについて、 完全に理解するよう努力する経験をすることができるのであれば。
言い替えれば、何か (What) を学ぶ事が重要なのではなくて、
まして、どうやって (How) を覚える事なんて重要であるはずがなく、
体得すべきは、なぜ (Why) を問い続ける習慣そのものです。

「トランザクション輪読会」(社内輪読会です) の本を、 「分かったつもり」レベルではなく、 完全に理解できるまで頑張るとかでも、もちろんいいですね。 どこまで完全に理解できたか自体は、実はあまり重要ではなくて、 理解しようと努力して、自身の限界まで力を出し切ってみることが事が 大事なのではないかと。

「輪読会」に参加した人は実感していると思いますが、何が分からないか 分からない人は、質問さえできないわけです。自分が本当に理解できているか、 常に反省する習慣を身に付けたいものです。

ちなみに私は大学生の時、隣の理学部の数学科へ出かけていって、 なんとか理解しようとさんざん苦しんだ挙げ句、 どーしても「分かったつもり」レベルから脱することができずに 自身の理解力の限界を知る経験をしました。

いちおーその単位は取ったのですが、数学者になることはあきらめて 情報工学に専念しようと思ったのでした。

Filed under: 技術と経営 — hiroaki_sengoku @ 07:17

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